2002年に公開されたイ・チャンドン監督の『オアシス』。
本作でベネチア国際映画祭新人俳優賞、そして最優秀監督賞を受賞するなど高評価を得た本作。
「前科持ちの男性」と「重度脳性麻痺の女性」との恋愛を描いています。
世間から疎外され、疎ましく扱われながらも、純粋な「好き」という気持ちだけで歩み続けた2人の姿を描いた社会性の高い恋愛物語です。
『オアシス』のあらすじ
ホン・ジョンドゥ(ソル・ギョング)
引用:YouTube
ひき逃げによって2年6カ月もの間、刑務所に入っていたホン・ジョンドゥ(ソル・ギョング)は出所してすぐに兄のホン・ジョンイル(アン・ネサン)の元へ赴きます。
ですが、訪ねた先にジョンイルはおらず、家族に見放されたジョンドゥは無銭飲食をし、再び捕まってしまうのでした。
弟の助けもあり無事に母やジョンイルに会うことができましたが、ジョンイルの妻にも疎ましがられ居場所がありません。
何とかジョンイルに中華料理屋での職を紹介してもらったジョンドゥでしたが、社会に適応できず直ぐに辞めてしまいます。
ある日、ジョンドゥはひき逃げをして死なせてしまった遺族の元へ謝罪に訪れますが、息子であるハン・サンシク(ソン・ビョンホ)に追い返されてしまいます。
ですが、その時、サンシクの妹であるハン・コンジュ(ムン・ソリ)のことが気になったジョンドゥは花束を渡しにコンジュの元を訪れます。
コンジュに友達になりたい、と言って近づいたジョンドゥですが、あっという間にコンジュに惹かれてしまうのでした。
引用:brunch
コンジュがジョンドゥに電話をかけたことで徐々に2人の距離は縮まっていきます。
ジョンドゥはコンジュについた嘘がきっかでジョンイルの仕事を手伝い始めるなど、コンジュとの関り徐を通して徐々に成長していくのでした。
コンジュと共に時間を過ごすにつれ、飲食店に入れてもらえないなど、そこには冷たい現実が待ち受けていることをジョンドゥは痛感します。
そしてある日、ジョンドゥの母親の誕生会にコンジュを連れて行った時、ただでさえコンジュの存在に戸惑った家族でしたが、事件に関係ある娘だと知った家族はさらにパニックになってしまいます。
憤慨したジョンイルはジョンドゥに詰め寄りますが、そこで実はひき逃げをしたのはジョンイルで、ジョンドゥは兄の身代わりとして刑務所に入っていた事実が明らかになるのでした。
『オアシス』のネタバレ・結末
引用:naverblog
その日の夜、コンジュの願いで2人はようやく身体を重ねます。
ですが、そこにサンシク夫妻が訪れたことにより警察に通報され、ジョンドゥは強姦容疑で逮捕されてしまうのでした。
コンジュは警察の取り調べに対してもうまく言葉を発することができず、また、ジョンドゥも最後まで真実を発しませんでした。
一瞬の隙をついて刑務所から脱走したジョンドゥは最後にコンジュの家へ駆けつけます。
コンジュの部屋の中にはオアシスという絵が飾ってありました。
ですが夜になると木の枝が窓越しにそのオアシスの絵にかかりコンジュが怖がっていたのでした。
自分がいなくなっても怖くないようにとジョンドゥは家の前の枝を切り、刑務所生活へと戻るのでした。
『オアシス』の見どころ―純粋な愛情に飢えていた2人―
引用:brunch
ジョンドゥは少し常識外れではあるものの、兄の罪を代わりに被ったり、出所してすぐに自分の身なりはさておき、母親の洋服を買うなど、本来は家族への愛情にあふれている人物であることがわかります。
ですが、母親も兄も出所を喜ばないなど、おそらく長らく本当の愛情というものに触れてこなかったのではないでしょうか。
愛情に飢えているのはコンジュも同じで、そんな2人だからこそ、お互いに愛情を渡しあい、そして互いに愛情を受けるのです。
そんな2人の姿は誰よりも純粋で、シンプルな愛の本質が描かれている気がします。
『オアシス』を見た感想
引用:tistory
犯罪を犯したという前科から社会から疎外されているジョンドゥ、そして障害があることを理由に社会から疎外されているコンジュ。
パターンは全く違いますが、どちらも社会において、見えないながらも確実に存在する壁が立ちはだかり、受け入れがたい現実を背負っています。
そして、更にそこに被害者の娘と容疑者との恋、という点も加わり困難だらけの関係であることが伺えます。
ですが、2人自身はどこまでも相手に対して真っ直ぐに、そして一切の偏見なしにお互いを見つめることができたからこそ最後の最後までお互いの手を離さず突き進むことができたのではないでしょうか。
引用:brunch
また、本作では所々にコンジュの空想シーンが入ります。
それは障害によりうまく言葉で伝えられないコンジュだからこそ表現できる日常の、そしてごく当たり前の出来事です。
でもそれがキラキラしていてとても輝いて見える、普通に生活できること、恋愛できること、それだけで幸せである、ということに改めて気づかされます。